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大阪簡易裁判所 昭和60年(ろ)623号 判決 1985年12月11日

主文

被告人を懲役四月に処する。

未決勾留日数中五〇日を右刑に算入する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和六〇年九月一三日、大阪市天王寺区悲田院町一〇番四八号天王寺ステーションビル一階国鉄天王寺駅構内中央コンコースで仕事を世話してやるといって酒を飲ませてくれたやくざ風の男とその仲間とみられるやくざ風の男から身体に危害を加えられるという危難が間近に切迫しているものと誤信し、これを避けるため護身用の器具が必要と思ったところから、同日午後八時ころ右天王寺ステーションビル地下一階高添理容室前を通りかかり同店内の散髪バサミを見てこれを護身用具にしようと思い、右危難を避けるためやむを得ない程度をこえて同店内から同店々員蛯原征志所有の散髪バサミ一丁(時価二万円相当)を窃取したものである。

(証拠の標目)《省略》

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、被告人は、本件所為の直前にやくざ風の男二名から強制的に連行あるいは暴行をされようとしたことから、二日前に強盗傷人の被害者となっていること等もあって、脅え、右二名から身体に危害を加えられるかも知れないと認識し、この切迫した危難を避けるため、いったんはその場から逃げたのであるが、逃げ切れる状況ではないと思い右危難を避けるため偶然目についた散髪バサミを護身用具にしようと思いこれを手にしたものであって、被告人の意思としてはやむにやまれざる状況の中でやむを得ずとった行動であるから、本件所為は誤想避難として窃盗の故意が阻却されるから、被告人は無罪であると主張する。

そこで検討するのに、前掲各証拠によれば、

被告人は、本件当日昼ころから判示国鉄ステーションビル一階の国鉄天王寺駅構内中央コンコースの二階に上る階段に坐っていたところ、午後一時三〇分ころ見知らぬやくざ風の五〇才位の男から話しかけられ、仕事を探がしているなら俺にまかせておけ、一緒に飲もうといわれ、同人の奢りで午後七時二〇分ころまでの間同所に坐ったままその男の奢りで缶ビール二本、酎ハイ二本、ワンカップの酒二本を飲ませて貰ったが、そのころ同所に来たその男の知り合いとみられる三五才位のやくざ風の男から仕事のことはおっさんにまかしておけ駅は九時に閉まるから外へ出ようといわれ手を引張られたが、その二人が仲間であり、手配師なら通常ワンカップの酒一本位しか飲ませてくれないのに、右のように長時間沢山の酒を飲ませてくれたのは何かこんたんがあり、二人の男に蛸部屋のような飯場にでも連れていかれるのではないかと不安になり、もう一寸ここにいるといって坐ったまま立ち上らなかったところ、若い方の男から頭をこづかれたりしたが、二人の男がまた戻ってくるからそこにいろといってその場から立ち去り、前記コンコース内をうろうろしているのが見えたがそのうちに見失った。被告人は、その後コンコース内をぶらぶら歩くうち、二日前に西成方面で数人の男から殴られて所持金三万円位を奪われ、前歯を折られる等の負傷をしたことがあったためこのことを思い合わせ、右の二人の男が怖ろしくなり早く逃げ出さねばと考えたが、二人の男が午後九時までには戻ってくるが、コンコース内のどこかにおり、みられてる感じがし、逃げ出すのが見つかれば二人の男から殴られたり蹴られたりするに違いないと思いこみコンコースからそのまま外へ出ることができず、逃げようとしてコンコース内の地下へ降りる階段から走って地下一階に降り、そこから判示高添理容室前の通路を通り二八メートル位進んだ先にあるアベノ地下街に入り、ビールびん等二人の男に対抗するための護身用になるものはないかと探がしたが、見つからなかったので右理容室の前まで引返して来て午後八時ころ同店のガラス越しに散髪バサミが置いてあるのを見て咄嗟にこれを護身用にしようと思い同店に飛びこみ右ハサミを勝手に持ち出して階段を上ってコンコースの方に逃げたところ、同店の従業員らに追跡され鉄道公安職員に逮捕されたことが認められる。

右認定事実によると、被告人の本件所為当時いまだ身体に対する切迫した危難があるということはできないが、被告人はいまにも二人のやくざ風の男から身体に危害を加えられると思いこみ、この危難を避けるため護身用具が必要と考えて本件の散髪バサミを持ち出したことは疑いがないから被告人が現在の危難を誤想してこれを避けるため本件行為に出たものということができる。

しかし、前掲証拠によると被告人は、前記のようにコンコース内から地下一階に下り、被告人がコンコース内のどこかにいると思った二人の男から身を隠くした形になってからアベノ地下街に入っているのであり、同地下街には多数の店舗があるほか、地下鉄谷町線へ下る入口が四ヶ所、コンコースのある前記天王寺駅ステーションビルから相当離れた地上に出る階段が七ヶ所(そのうちすぐ目につくのは二ヶ所)あり、右の階段から地上に出て二人の男から逃避することができるばかりでなく、危難を怖れるのであれば同地下街の店の人に頼んで電話で警察に連絡して貰って救助を求める余裕もあったものと認められる。ただ被告人は、本件の四日前に大阪に出て来たものであり、地理が判らないことや誤想に基づく当時の被告人の心情を考慮すると、被告人に右のような方法をとることを現実に期待することは困難な面があったとみられる。それ故右のような状況下でなされた被告人の本件所為は現在の危難の誤想に基づく避難行為といえても止むを得ない程度をこえた過剰避難であるといわざるを得ない。被告人は当公判廷において前記地下街の階段からコンコースを相当離れた地上に出ても二人の男に発見されるかも知れず、大阪市内のどこへいっても二人の男から探し出されて捕るから逃げ切れないと思った旨の弁解をしているけれども、右弁解は到底首肯できるものではなく、前記証拠殊に被告人の捜査段階から公判廷に至る供述を綜合すれば、被告人は、前記のように地下一階に下りてからは二人の男から逃避可能な方法を見出そうとせず、専ら護身用具を探がしていたもので、他に避難の方法がないと思って本件所為に出たものではないと認められる。

従って、誤想避難として窃盗の故意を阻却するという弁護人の主張は採用できない。

(累犯となる前科)

被告人は、昭和五七年一一月一七日東京地方裁判所において恐喝未遂罪により懲役一年二月に処せられ、昭和五九年一月七日右刑の執行を受け終ったもので、この事実は前科調書により認める。

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法二三五条に該当するところ、前記前科があるので同法五六条一項、五七条により再犯の加重をし、右は誤想過剰避難であるから同法三七条一項但書、六八条三号により法律上の減軽をした刑期の範囲内で被告人を懲役四月に処し、同法二一条により未決勾留日数中五〇日を右刑に算入し、訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項但書により被告人に負担させないこととして、主文の通り判決する。

(裁判官 八木直道)

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